井上光労務サポートオフィスのスタッフです。

 新型コロナウイルス第5波の緊急事態宣言が解除されたので、つい先日、ほぼ2年半ぶりに里帰りしました。
新幹線で2時間、新大阪始発のこだま号の自由席でのんびり帰るという定番の帰省でした。
緊急事態宣言の余波も続いているためか、土日の乗車でもかなり空席があり、本当に静かな車内でした。

 下車駅は浜松ですが、16年ほど前に市町村合併で浜松市に統合された遠州平野の北部にある町が私の故郷です。
 この地域は、天竜川が信州諏訪湖から出発し、木曽と赤石の両山脈と別れを告げて、太平洋に向かって一気に平野へ流れ出す場所に位置しています。
 まだまだコロナ禍ではありますが、風景はほとんど変わらず、相変わらず静かな時間がそこにはありました。

 そんな田舎の町ですが、郷土の偉人に「本田宗一郎さん」がいらっしゃいます。
本田宗一郎さんは私の母校の小学校(現:二俣小学校、旧:二俣尋常高等小学校)ご出身で、偉大な先輩です。

 母校の小学校の裏手の山に、清瀧寺(せいりゅうじ:徳川家康の長男・信康の菩提寺でもあります)と言うお寺があります。お寺には地域に時を告げるための鐘があり、昔は毎日、規則正しく鐘の音が聞こえていました。
 この鐘と本田宗一郎さんにまつわる「早弁伝説」という話が母校にはあります。
本田宗一郎さんは子ども時代から、随分とやんちゃな少年だった様です。
 お腹が空きすぎて、お昼まで待てない本田さんは、こっそり小学校を抜け出して、いつもより30分早くお寺の鐘を突き、見事に「早弁」を成功させたそうです。

 15年ほど前から毎年、時の記念日が来ると、母校の小学校では、その年度の新一年生が「早弁伝説」の再現行事をします。正午少し前、新一年生代表が鐘を突き、児童全員でおにぎりを食べます。
子どもたちは、なんとものどかで、楽しい時間を過ごすことでしょう。

 清瀧寺の隣には「本田宗一郎ものづくり伝承館」があります。
「世界のHONDA」の創業者ですので、さぞ近代的で大きな建物かと想像されるかと思いますが、それは全く違います。
 旧二俣町役場(国登録有形文化財)の古い建物を利用した、思った以上に小さな記念館です。
ですが、館内は本田宗一郎さんの歴史そのものです。遺品をはじめ、直筆のデッサン画や「ホンダスーパーカブ」の現物、歴代のオートバイの展示は、「HONDA」をリスペクトしている皆さまには宝庫だと思います(入口では、HONDAのアシモがお出迎えをしてくれます)。

    ※旧二俣町役場の建物を活かした「本田宗一郎ものづくり伝承館」です

 今回、私も時間を作って久しぶりに行ってみました。

 特に今の季節、秋の静かな頃……。
伝承館の中に差し込む太陽の光のぬくもりが、とても優しく感じられます。